前提:日本の電力市場の三層構造
蓄電所ビジネスの構造を理解するには、まず日本の電力市場が「三つの異なる価値」をそれぞれ別の市場で取引していることを知る必要がある。電力は単に「電気を売り買いする」だけでなく、「いつでも発電できる能力」や「瞬時に需給を調整する応答力」にも別途対価が支払われる。
- 卸電力市場(JEPX) ─ kWhの価値
- 実際の電力量を30分単位のコマで売買する場。スポット市場、時間前市場などがある。一般に「電力の値段」として報道されるのはここの価格。
- 需給調整市場 ─ ΔkWの価値
- 系統の周波数維持や需給バランスの瞬時調整のための応答力を売買する場。応動速度に応じて一次調整力(10秒以内)から三次調整力②(45分以内)まで5区分ある。2024年4月に全面開場した比較的新しい市場。
- 容量市場 ─ kWの価値
- 4年後の電力供給力を確保するための市場。「実際に発電したか」ではなく「いつでも発電できる能力を持っているか」に対して対価を支払う。2020年に初オークション実施。
蓄電所はこの三つの市場からの収入を積み重ねる「レベニュースタッキング」で事業を成立させる。しかし、三市場それぞれの収益性は制度設計に強く依存しており、現在はその配分が本来あるべき姿からずれた状態にある。
蓄電所の現在の稼ぎ方 ─ 調整力市場での「番兵役」
一般に蓄電所と聞くと「昼間の安い電気を貯めて、夕方の高い時間帯に売る」というイメージが浮かぶ。しかし現時点の日本の蓄電所ビジネスにおいて主要な収益源となっているのは、卸電力市場での裁定取引ではなく、需給調整市場での調整力提供、とりわけ一次調整力の提供である。
一次調整力とは何か
一次調整力は、系統の周波数(東日本50Hz/西日本60Hz)が基準値からわずかにずれた瞬間に、10秒以内に自動応動して充放電するサービスである。周波数が下がれば(供給不足)放電し、上がれば(供給過剰)充電する。蓄電池はミリ秒単位の応答が可能なため、この役割に最も適した電源の一つである。
ここで重要なのは、この収益の源泉が「電力量の売買差額」ではなく「待機していること自体への対価(容量払い)」である点だ。一次調整力の提供者は、実際に充放電したかどうかに関わらず、24時間いつでも応動できる状態を維持していることに対して報酬を受け取る。いわば電力系統の「番兵役」であり、番兵が交代なく24時間365日立ち続けることで、小さな待機料が積み上がっていく構造である。
黎明期のボーナスは消えつつある
需給調整市場は2024年4月に全面開場したばかりの新しい市場であり、参入する蓄電池がまだ少なかったため、応札量が募集量を下回り、上限価格付近で約定できる「売り手市場」の状態が続いていた。蓄電所事業者にとっては比較的おいしい環境だったといえる。
しかし2025年後半以降、この状況は急速に変化している。揚水発電が市場外の随意契約に移行したことで一部エリアの募集量が減少し、競争が激化。さらに資源エネルギー庁が一次・二次①の上限価格引き下げ案を提示したことで、蓄電所事業者の収益見通しは大きく揺らいでいる。業界団体であるエネルギーリソースアグリゲーション事業協会は「量と価格を同時に変更することは投資回収の予見性低下につながる」と緊急提言を公表するに至った。
本来期待される姿 ─ 裁定取引による再エネの時間シフト
蓄電所に社会が期待している本来の役割は、再生可能エネルギーの出力変動を吸収する「時間シフト」である。太陽光発電は昼間に集中して発電し、電力需要のピークである夕方から夜間には発電できない。この時間的ミスマッチを蓄電池が橋渡しすることで、再エネの価値を最大化し、出力制御(発電しているのに捨てること)を減らし、火力発電への依存を下げられる。
市場メカニズムとしては、この時間シフトは卸電力市場における裁定取引として実現される。再エネの余剰で価格が下がる昼間に充電し、供給が逼迫して価格が上がる夕方〜夜間に放電する。充電時と放電時の価格差(スプレッド)が蓄電池のサイクル劣化コストや充放電効率のロスを上回れば、事業者は利益を得ながら社会的に有用な時間シフトを自発的に行うことになる。
ところが、現在の日本では、このスプレッドが蓄電池ビジネスを成立させるほど十分に生じていない。多くの事業者は事業性の確認段階にあり、再エネ併設で出力制御を避けられる九州の一部ケースを除いて、裁定取引単体での採算確保は困難とされている。なぜスプレッドが不十分なのか。その原因は、次章で述べる制度的構造にある。
裁定取引が成立しない制度的構造 ─ FITとマイナス価格の不在
マイナス価格とは何か
欧州の卸電力市場では、電力が過剰に供給された時間帯にスポット価格がマイナスになることがある。これは「電気を引き取ってくれる人にお金を払う」という状態であり、発電者にとっては発電するほど損をすることを意味する。
マイナス価格の本質は「電気が余っているから発電を減らしてくれ」という経済的シグナルである。このシグナルが機能すると、限界費用の高い電源から順に発電を停止し、需給バランスが回復する。そして蓄電池にとっては「充電するだけでお金がもらえる」局面となるため、裁定取引のスプレッドが大きく広がり、事業性が飛躍的に改善する。
FIT太陽光がマイナス価格を封じる構造
日本の卸電力市場ではマイナス価格が導入されておらず、スポット価格の下限は0.01円/kWhである。九州などでは晴天日の昼間にこの下限に張り付くことが頻繁に発生しているが、それ以上は下がらない。
仮にマイナス価格を制度的に導入したとしても、大量に存在するFIT(固定価格買取制度)認定の太陽光発電がその機能を無効化する。FIT太陽光の事業者は、市場価格がいくら下がろうと(たとえマイナスになろうと)、あらかじめ決められた固定価格で電力を買い取ってもらえる。したがって、市場価格に連動して発電を止めるインセンティブが一切存在しない。
FIT太陽光は価格シグナルに対して完全に不感応であるため、マイナス価格を導入してもシグナルの受信者がいない。受信者がいない状態でマイナス価格を導入すれば、蓄電池が儲かるだけで過剰供給は解消されず、そのマイナス分のコストを誰かが負担するという歪みが生じる。これがマイナス価格導入がFIT太陽光の大量存在下では困難とされる所以である。
結果として、スポット価格は0.01円で床を打ち、蓄電池が裁定取引で活躍するために必要な「十分に深い谷」が制度的に封じられた状態が続いている。
過渡期を支える足場 ─ 火力発電の限界費用入札と容量市場
限界費用入札と「ミッシングマネー問題」
卸電力市場では、発電事業者は自社の限界費用(追加1kWhを発電するのに必要な変動費。火力なら主に燃料費)を基準に入札する。太陽光や風力は燃料費がゼロなので限界費用もほぼゼロであり、市場ではこれらが最も安い電源として優先的に約定する(メリットオーダー)。
再エネの限界費用ゼロの電源が市場に大量に入ると、市場全体の約定価格が押し下げられる。火力発電も自身の限界費用(燃料費)で入札するため、市場価格は燃料費付近に張り付き、発電所の建設費・維持管理費・人件費といった固定費を回収するための「上乗せ分」が反映されない。これが「ミッシングマネー問題」と呼ばれる構造的課題である。
この結果、火力発電所は卸電力市場の売電収入だけでは投資回収の見通しが立たなくなり、老朽化した設備の更新が進まず、採算の合わなくなった発電所から順に休廃止(退出)が進行する。
容量市場の役割
容量市場はこのミッシングマネー問題への処方箋として2020年に導入された。卸電力市場では回収できない固定費の一部を、「4年後に供給できる能力(kW)」への対価として補填する仕組みである。
発電事業者にとっては、実際の発電量に依存しない安定収入が得られるため、設備維持・更新の投資判断がしやすくなる。とりわけ、再エネの出力が落ちる夕方〜夜間や、悪天候が続く時期に電力供給を支えるバックアップ電源(主にLNG火力)を維持するために、容量市場は不可欠な存在とされている。
容量市場への「的外れな批判」とその帰結
容量市場に向けられる批判
容量市場には複数の方向から批判がある。代表的なものを整理する。
第一に、「老朽火力・原発の延命装置である」という批判。容量市場は既設電源に有利な制度設計であり、限界費用の安い既設電源が落札の大半を占める。新設電源は建設費の回収が必要なため高い価格で入札せざるを得ず、落札されにくい。結果として、CO2排出量の多い石炭火力や老朽化した原発を経済的に延命させているとの指摘がある。
第二に、「旧一般電気事業者に有利な不公正構造である」という批判。容量市場の費用は小売電気事業者が容量拠出金として負担するが、落札する発電所の約8割は旧一般電気事業者が保有している。旧一電にとっては小売部門から発電部門への社内資金移転に等しく、新電力だけが実質的な負担を強いられるとの指摘がある。
第三に、「再エネ拡大を阻害する現状固定の制度である」という批判。容量市場は太陽光や風力といった変動電源の容量を低く評価する設計であるため、再エネよりも既存火力の維持を優先する制度であり、エネルギー転換を妨げるとの指摘がある。
批判が見落としている「容量市場がない世界」
これらの批判にはそれぞれ一定の妥当性がある。問題は、それらの批判には容量市場を廃止した場合に何が起きるかの考慮が欠けている点である。
容量市場がなくなれば、火力発電は卸電力市場(kWh)の売電収入だけで固定費を含む全コストを回収しなければならない。それが不可能であれば、二つの帰結のいずれかが生じる。
一つ目は、支配的事業者(大手電力)が市場支配力を行使し、意図的にスポット価格を釣り上げることを社会が許容せざるを得なくなる。固定費を回収できなければ発電所を維持できないのだから、価格を上げるか退出するかの二択である。
二つ目は、火力発電の退出がさらに加速し、供給力不足が深刻化する。再エネの出力がない時間帯にバックアップ電源がなくなれば、電力逼迫時のスポット価格は容量市場のコスト以上に高騰し、最悪の場合は停電リスクが顕在化する。
さらに、火力発電が退出すれば「余力活用」による調整力提供もなくなる。火力は本業の発電余力を使って需給調整市場に調整力を供出しているが、母体の発電所が消えればその調整力も消失する。系統全体の調整力確保がより困難になり、再エネの導入拡大自体が制約される。
容量市場を批判して廃止に追い込むことは、蓄電池が裁定取引で活躍するはずの将来の市場環境を、その将来が到来する前に破壊する行為に等しい。容量市場は完全な制度ではないが、過渡期の足場として現在の系統を支えている。足場の改善は必要だが、足場を取り払えば上に立つ者ごと落下する。
FIPへの移行と漸進的な制度整備
FIPが拓く可能性
FIT(固定価格買取制度)からFIP(フィード・イン・プレミアム)への移行は、マイナス価格導入の前提条件を整える上で重要な制度変更である。
FIPでは発電事業者の収入が「市場価格+プレミアム」となるため、市場価格がマイナスに沈めばプレミアムを足しても収入が減少し、場合によっては発電するほど損をする局面が生じる。これにより、FIP発電者は市場価格のシグナルに反応して発電を止める経済的動機を持つようになる。マイナス価格という「余っているから減らせ」というシグナルが初めて機能するようになるのである。
二つの制約:時間軸と制度設計
ただし、FIPの普及だけでマイナス価格導入が直ちに可能になるわけではない。二つの重要な制約がある。
第一に、時間軸の問題。日本のFIT太陽光の大量導入は2012〜2020年頃がピークであり、事業用の買取期間は20年間である。このストックの大半がFIT契約を満了するのは2030年代半ば以降となる。FIPへの新規移行がいくら進んでも、既存FITの巨大なストックは契約満了まで固定価格買取のまま残り続ける。
第二に、現行FIP制度自体がマイナス価格に対応した設計になっていない点。現行のFIPにはプレミアムのゼロ下限が設定されており、市場価格がマイナスになった場合の制度的な取り扱いが未整理である。FIPの普及と並行して、FIP制度そのものをマイナス価格対応に改修する作業が必要となる。
したがって、FITからFIPへの移行は「スイッチを切り替えれば即座に裁定取引が成立する」というものではなく、FITの契約満了が進むにつれて徐々にマイナス価格導入の条件が整っていく漸進的なプロセスとなる。この長い過渡期こそが、前章で述べた火力発電と容量市場の維持が求められる期間と重なる。
総括 ─ 蓄電所が時間シフトを担う未来と、そこに至る制度整備の道筋
以上の議論を踏まえ、蓄電所が「再エネの時間シフト装置」として本来の役割を果たすために、何を整備していく必要があるかを整理する。
整備すべき条件②:過渡期の系統安定を支える容量市場・火力発電の適切な維持
蓄電池が再エネの時間シフトを裁定取引として担う未来は、技術的には十分に可能である。その実現には、二つの条件を並行して整備する必要がある。
第一の条件は、裁定取引のスプレッドを生み出す市場構造の構築である。具体的には、FIT太陽光の契約満了とFIPへの移行を着実に進め、発電者が市場価格のシグナルに反応する環境を広げること。そしてその進展に合わせて、マイナス価格の導入をはじめとする卸電力市場の制度改修を段階的に実施することである。
第二の条件は、その市場構造が整うまでの過渡期において、系統の安定供給を支える仕組みを維持することである。容量市場と火力発電は、再エネの出力がない時間帯のバックアップ、系統全体の調整力供出、需給逼迫時の最終防衛線として、過渡期に不可欠な役割を担っている。容量市場の制度設計には改善すべき点があるとしても、その機能自体を損なうことは、蓄電池が活躍すべき将来の市場環境そのものを毀損しかねない。
重要なのは、この二つの条件が相互に依存している点である。過渡期の系統安定なくして再エネのさらなる導入拡大はなく、再エネの拡大なくして裁定取引が成立するスプレッドは生まれない。ゴールの実現を目指すことと、そこに至る過渡期を支える制度を維持することは矛盾しない。むしろ、両者を一体の道筋として捉えることが、蓄電所ビジネスと日本の電力市場の双方にとって不可欠な視座である。
蓄電所が「再エネの時間シフト装置」として本来の役割を果たせる未来は、裁定取引を成立させるマイナス価格の導入と、そこに至る過渡期を支える容量市場・火力発電の維持の両輪によって初めて実現する。求められるのは、ゴールの理想像と過渡期の現実を一本の道筋として繋ぐ制度整備の構想力である。